さざ波のような日々

ミニマムに変化しながら、ゆるく生きる

何もない人でも、時間だけはある

現在、25にもなっていわゆるアイデンティティの喪失状態に陥りました。

 

毎日毎日、仕事して酒飲みながら帰る。最初は景色を楽しめた帰路も、だんだんと霞んでしまいました。

そして趣味も楽しく思えず、全てに意味がないのではと思うようになってしまいました。

そんな中どう生きればいいのかを少し考えてみた。

 

何も無くなった

ほんの半年前までは「喫茶店を開く」という大きな目標があり、それに邁進していました。仕事も独立までの修行であるため、辛くても楽しいはずでした。

でもここ最近、辛くも楽しくも思えず、虚無感に苛まれる。こんなことをして何になるんだと。

そんな思考が脳内を渦巻き、仕事に集中できず、今自分が何をしているのか分からない状態になりました。

逆に言えばある種の客観視のような、どんな忙しくても冷静な状態になるように。

なので仕事中の辛い、疲れたといった負の感情を感じることなく業務を終えることができるので、ある意味楽ではありました。

 

そして退勤後はすぐコンビニへ駆け込み、缶チューハイを購入。2、3時間かけて自宅まで歩きながら4、5本の酒を空けてyoutubeを見て寝落ちする生活でした。

 

そんな感じで一人暮らしなので生活はおざなりに。

掃除も気分が高揚した時にしか出来ず、食事も自炊は出来なくなる。ゴミ出しも忘れますね。ゴミ屋敷の住人はこうやって生まれるのかと。

洗濯は今まで通り着替えが尽きる3、4日に1回回してますが、干すことができず。

風呂も面倒で、出勤前に急いでシャワー。

こんな生活でも自分だけだしいいやと。

 

それでも酒を飲んでいる間の帰路と、自宅でyoutubeを見ている間はまだ楽しいと思えていました。

ただそんな刹那的な享楽もついに全く感じられなくなり、本当になんで生きてるのか分からなくなりました。

 

特に辛い、苦しいとは思わないものの、かと言って何をしても面白く思えず。

物理的、金銭的には不自由ないはずなのに、心にぽっかり穴が空いた状態になりました。

 

先が考えられない

それから今日までの1週間、酒を飲む、あるいは仕事に集中できた時に、落ちる状態が緩和されることに気づきました。

 

日曜日のモーニング中、最初は無でしたがだんだんと忙しさを感じることが出来、ただ動くのではなく頭を使って流れを組み立てる感覚を久々に感じられました。

 

しかし仕事中はいいんですが、酒を飲まずに帰っても趣味だったものに興味が湧かず。筋トレ、バンド、映画etc、何もやり直そうと思えなかったです。

 

筋トレやバンドみたいな継続して行う趣味は、継続自体を面倒と思う気持ちは必ず出てきます。

しかし映画や漫画と言った単発的な娯楽でさえ、感情移入というかストーリーへの没入ができず、刹那的な娯楽のお笑い動画やゲーム実況なんかを見ても、面白味はないし意味が無いと思うようになったので、さすがに危ないなと。

長期的な視野が明らかに狭まったのはもちろん、その場の楽しみにすら価値を感じることが出来なくなりました。

 

集中はできるようになった

今まで(直近3ヶ月ほど)は何かを考えることが上手くできず、最初は疲れているだけかと思っていました。

でも何も感じられなくなり、自分がオートで動いている奇妙な感覚になる時がありました。

 

ただそれを越えて、仕事中は疲れるけどしっかり考えることができてる状態に戻りました。

 

また漫画やドラマ(特撮)を見て、少しは色々考察というか没入できるように。ただ視覚でなぞるだけの感覚ではなくなりました。

 

生きてる意味はすぐに出ない

今1番人に質問したいのが、「何故生きてるのか」

楽しければいいやという刹那的な感情さえ越えてしまい、何も楽しくない状態になってからずっと思うようになってしまいました。

 

別に楽しいに限らず、例えばネットニュースやSNSで攻撃的な人。あれもどこからそんな感情が湧くのか、というか何故そこまでその事物が気になるのかと思います。

それでも感情がアクティブなだけ羨ましい。善悪は置いといて。

 

それで生きる意味ですが、友達がよく言っていた「自分のためにはもう頑張れない」を思い出すように。

そいつには5年になる彼女がいて、そろそろ結婚を考えるという話の中で確かしていました。

これはわかりやすく、愛する人や家族のためって理由ですね。

 

でも自分の中でそこら辺の答えは出てしまってて。

親が生きてる間はとりあえず生きると。生きてる意味はないけど特に死にたくないしみたいな、積極的になにかしたいに繋がる理由ではないですね。

 

こうやって書いてて思ったのは、甥っ子のためになにか出来たらなと。

 

何もなくても時間はある

今自分は、自分のために何もできない状態なんじゃないかと思いました。

食べたいご飯すら浮かばない。だから料理もできない。でもオーダーが入れば調理はする。

だから、例え何をしてるのか分からない状態でも仕事には行くし。

 

趣味でいえばバンド。今は世間的に難しいですが、おそらく活動が再開となれば練習も意味をなすでしょう。それは自分が楽しいと思えるかは一旦置いたとしても、メンバーと活動するから。

 

なので人のためには何かできるのかなと。

自分の生きる意味は見つからなくとも、人に時間を使う事はできるんじゃないか。

 

人に時間を使う方法は難しい

ただ今の職場ような、大袈裟にいえば専門的な技術職は、自分の将来展望が見えていないと努力しずらい。

その日の営業にしか目がいかず、独立やさらに腕を上げることへの楽しみを感じにくくなっている。淡々と機械的な作業になり、ますます感情が死んでいく。

 

あと純粋に自分の腕に自信がなかったり、逆に過剰になる場面が出たり。

 

あとサービス業って人のためになってる実感が湧きにくい部分もあると思います。仕事って枠組みでのストレスもあるし。

 

なのでもう少し自由度の高い方法で、人に時間を使うことができるといい。

酒浸りで久しく思うこともなかったけど、ゆるく人付き合いができるような。

 

となるとボランティア。FBでたまに見かけたイベントの手伝いや、お店のセルフDIYの手伝いなんかは今ぱっと浮かんだので、また外が落ち着いた頃にできるといいなあ。