さざ波のような日々

ミニマムに変化しながら、ゆるく生きる

辛い状態に浸りたかっただけかもしれない

思った事を書きなぐってるだけのこの数日間、だいぶ心も頭もスッキリしてきた。

それで思ったのは、ただ辛い状態に浸りたかっただけかもしれないということ。

 

辛いという言い訳

2月、3月当時はそりゃ死ぬほど辛い時もあった。

長時間労働での連勤、中堅スタッフの離脱、シフト作成という追加業務。あの時は紛れもなく疲れてた。

ただそこで飲酒を習慣化したのが間違いだった。

 

ストゼロ500ml、平均4本ほどを帰るまでに飲み、家でおつまみの残りを食べながらまた飲む。飲んでる間は楽しかったし、自分へのご褒美だった。

帰り道の景色は楽しかったし、色んな酒やおつまみに出逢えた。

 

でも毎日はさすがにやりすぎた。

4月頃には内臓がどこかしら痛くて、でも5月には治ってて。だからまあいいかと当たり前になってた。

それでついにこの間、何も感じられず生きてる意味がわからなくなるときがあった。

 

劇的な出来事と変化

あの経験は今思えば怖くなる。

急に何も楽しく無くなったと思ったら、辛い、疲れたといった負の感情も感じられなくなったから。

 

でもお酒を飲むとすっきりしてまた楽しくなり、朝起きてまた元に戻り。

かと思ったら業務中、急激にテンションが上がっていく感覚になったり。

自分の感情の制御が全くできていない状態になった。

 

劇的なことが起きないと変われないとは言うがあまりに急すぎて、怖すぎてさすがに目が覚めた気がした。

 

だからといって生活習慣がガラッと変わるものでもないし、事実あの生活も楽しく思う時があった。

ただ辛さを抑えるための飲酒を習慣化したことで、自分は辛いから飲んでるんだと言い聞かせていたのではとも思う。

 

別の楽しみがあったのかは知らないし、今も生きる意味が分からないと思う時が特に朝に来る。

ようやく趣味だったものを再開させようかという気持ちも出てきた。

 

さすがにやりすぎだったと自覚できるくらいには冷静になった。

薬も摂り過ぎれば身体に毒だ。

 

沼から抜け出す気になった

この半年近くが無駄だったかは分からない。ただ底を見て気づいたのは、危険な沼であったことは確かだ。

楽だし楽しいし別に不自由はない。だけどたびたび虚無感に襲われる。

 

それに気づいた今、先週までと同じ気分で、帰りながら飲むのはできないと思うようになった。

 

まだ先は見えない

半年前と違うのはまだ先があまり考えられないこと。

どれほど沈んでしまったか分からないので、まだ抜け出しきれていないのだろう。

自分や将来のことがあまり考えられない状態になる時がある。

 

こればっかりはまだ漂ってみるしかない。安易な答えに飛び込まなかっただけまだマシだ。

こうやって思考をまとめて文章を書いてると、ちゃんと前みたいにまだ頭が動くことを嬉しく思う。

 

元に戻りたいとか、なにかを改善したいとか、そういう話はあまりなくて。

自分の感情がきちんと適切に働くことにまずは安心できる。

 

感情には適切な排出が必要

負の感情は早めに咀嚼し消化するか、娯楽などで発散する必要があると思う。

ただバランス感覚が重要で、必要以上の発散を続ければ耐性が付いてしまう。

 

おそらく自分は必要以上に感情を上げる方法を習慣化して取りすぎたため、カンストしたか制御出来なくなったと思われる。

遊びに行ったりイベントなどができない状況で、上手く楽しい感情を保つのも難しい。

しかしやり方を間違えると、ハイの状態がデフォルトになってしまい、ストレス耐性が減少したり、急にプツリと切れたような気持ちになる。

 

辛い時は発散させるのは当然。

ただ発散行為が習慣化したせいで、普段は辛い状態であると思ってしまったのかもしれない。

実際の現状と辛い状態であるはずという認識とのギャップが、感情の制御が出来なくなったのに繋がったと思う。