さざ波のような日々

ミニマムに変化しながら、ゆるく生きる

自分の小賢しさがダサいので、いっそ開き直った方がいいと思う話

 

最近、なんとなく自分が変わった気がする。
いや、人間だし常に変化はするんだろうけどさ。

前々から「ゆるく生きる」をテーマに紆余曲折してきたからか、ちょっと生きやすくなった気がする。


で、今回はそんな「脱・優等生気取り」の話。

 

自分は「賢い人間」だと思っていた

前々から思っていたが、おそらく自分は賢い人間なんじゃないかと思っていた。
賢いってのは学力ではなくて、変なとこで要領がいいってこと。

まあぶっちゃけ、勉強もできる方だと思っていた節はある。高校の時、英語でつまづいて諦めたけど。

それとたぶん、仕事を覚えるのも早いタイプ。皆も言ってくれるが、器用な方で手際も中々悪くない。


あとは人間関係での動き方。派閥には極力入らないようにする。

中高生なんてだいたいグループ分けされて、他の派閥とはほぼ関わらん感じだけど、意外とそういうのには巻き込まれなかった気がする。

なので揉め事や噂話など皆無。あまり興味もないし、いいんだけどさ。


で結局、それはまあ仕事とかもサクサク終わらせれるし、変に人間関係拗らせないから、楽ではあった。


ネットで世界の全てがわかる気でいた

これが近年で1番、自分が小賢しいなと思ったこと。


大学3年生になってSNSや本の知識で、好きなことで生きたいと思った。
それからバイトを辞めて、卒業までの2年は貯金で生活。
まあ実家だったけど。


今更ネットをどうこう言わんでも、広く情報が手に入るのは周知の事実。
SNSも自分と違う生活の人がわんさかいるから、そりゃもう刺激的だった。


それでSNSとかを見たままに、いつかこの人達みたいになるんだろうって漠然と考えてた。
あとミニマリストやダウンシフトを知って、周りの学生にそういう人は全然いなかったから、ちょっと特別な感じでもいた。


あといわゆる就活もしなかった。自分は個人で動いてどうにかするって。
まあそういう時って、どうにかなるから付け上がるんだけど。

 

恥ずかしいので開き直ることにした

で長々と書いてきたけど、結局なんかダサいなと。
中途半端な優越感って言うか、何をそんな妙な方向に頑張ってたんだろうか。


1人で悦に浸ってその時はいいかもしれんけど、なんだか嫌味ったらしいな。
エラそうに知った気になってんだかって。


あとできるヤツ感出そうとしてんのも透けて見えてダサい。
できるヤツって言うか、「なんでもできます!」って優等生ぶって見栄張るみたいなの。


褒められるのは勿論嫌いじゃないから、人間だしそりゃ頑張っちゃうよね。
でも別にできないことは「できない」でいいし、その方が楽だわと。


なので最近、色々と素直に言うようにしてる。
出来ない時は速攻でヘルプ頼む。別にできないんだから仕方ない。


目的は仕事を早く終わらせること。
そのために出来ないことを1人で低クオリティの状態で悩むものじゃない。

それで捻り出したものだって、結局できる人の「ちょちょい」には勝てんのだから。


逆によくできたなって思う時や、ヘルプした時なんかは「すごいでしょ!」って言ったりするww

変にできるヤツオーラ出して、よく思われようとするのもやっぱダサい。
まあ良く思われたいってのはあるんだけどさ。

でもそれが態度から滲み出てんのがとにかくダサい。
だったら最初から開き直っちゃえばいいんじゃないかなって。


なんていうか要らんとこで「変に大人ぶる」感じがひたすらにダサく感じる。


なので「変に大人ぶる」のを辞めようと。

 

まとめ

で、きっとこの「変に大人ぶる」ってのが小賢しいってことなんじゃないかなって思った。

全部わかった気になって、なんでもできるヤツ気取って。
そんなん本当にできるヤツならいいけど、できんヤツがやっても死ぬほどダサいだけ。

知識だけあっても行動が伴ってないわけ。
友人の前でひけらかさないだけ、まだ助かったわ。


それと自分は努力って言うか泥臭いのを見られたくない節がある。
だからと言って裏で何かを積み重ねる訳じゃない。

なので昔から小手先で上手く誤魔化してきた感じ。
でもそれは結局いらん努力だし疲れるし、何も身にならん。


というわけで自分の出来ることからコツコツとやって、身の丈にあった生き方をするのが一番だなと。
良くも悪くも素直に、開き直ったことで楽になった気がするって話でした。