さざ波のような日々

ミニマムに変化しながら、ゆるく生きる

現代社会を生き抜くための要素 「ゆるさ」 の本質とは

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こんばんは、おりんです。


突然ですが、「ゆるさ」と聞いてどう感じますか?
僕は常々ゆるく生きたいと考えています。
今日は僕のブログの軸にもなっている、そんな「ゆるさ」についてのお話です。



「ゆるさ」は不要?

ゆるさと言うと、シャキッとしろだの、甘えるなだの、割と周りから言われてきました。


多くの人にとってゆるさとは、なんとなく悪いイメージなのでしょう。
これは学校や会社で、生産性を妨げる要素として考えられているからではないでしょうか?


休まずキビキビ働く、時間をかけて頑張る
こういったことが評価される環境下では、とても休んだりなんてできません。
そんな当たり前が浸透して、皆揃って「ゆるさ」を目の敵にしていると思います。

 

「ゆるさ」の定義

そもそも、ゆるさと一言で言っても、多様な解釈ができます。
そこで、まず僕なりの定義を考えました。


「ゆるさ=余裕」
これが僕の考える、ゆるさです。


僕は多くの時間を、楽しく満足して生きたいです。
それには楽しさを生産し、感じる時間が必要です。(時間的余裕)
また、生活するための環境や資源が必要です。(物質的余裕)
そして、日本でそれを実現するにはお金が必要ですし(金銭的余裕)
そもそも、それらを楽しむ心身の余裕は絶対必要です。(精神、身体的余裕)


これら全ての要素を自分の管理下に置くことが、自分の時間を主体的に生きることだと考えます。


そしてゆるさとは、特にこの中の時間、精神、身体といった、自身の内的要因の余裕を指します。
金銭や物質と違い、時間や心身は増やそうと思っても増やせません。
そういう意味では、「ゆるさ」を求めるのは必定ですね。

 

認識のズレ

ポイントとなるのは、「ゆるさ=ダラダラ」ではないということ!
ゆるさに嫌悪感を抱いている人の多くが、「ゆるさ=ダラダラ」と思っています。


しかし目的のないダラダラと違い、ゆるさはいわば緩急の「緩」
バランスを取るためにも不可欠なのです。
余裕がなければなんのために生きているか全くわかりません。


まあ、これはあくまで僕の解釈です。
多様な解釈があると考えているので、どんな考え方でも否定されるべきではありません。


 

ゆるさがあった方がよくない?

本当は「ゆるさ」を悪としている人の方が、それを求めているんじゃないでしょうか


心のどこかでゆるく生きている人間に憧れを抱くも、それが叶えられないと諦める。
挙句、同じ境遇に引きずり込もうとしているようにさえ感じます。


そんな人たちはまず、自分の人生を生きた方がいい
僕が偉そうに言えることじゃありませんけど、、


人の考えはそれぞれ
70数億人もいたら、それと同じ数だけ、生き方も考え方もあるはずです。
人の生き方にケチを付けるのはやめましょう。


結局、どれだけ頑張っても他人の人生は変えられません。
なので、自分の人生をよくすることだけに時間を使う方が合理的です。
どんな理由であれ、気に入らなければ見なければいいだけですから。


まとめ

偉そうに語りましたが、今の僕の生活はまだまだ甘えな気がしています
実家で親がいて物質的余裕があるから、ゆるい生活だとか言えるだけ


本当のゆるさとは、甘えとは別物です。
僕は人からの助けに受け身でばかりいることは甘えだと思います。
(助けはもちろんあって良いと思います)



他者に頼りすぎること=甘えって感じですね。
なので自分の人生をゆるく生きるなら、ゆるさを自分で生み出さなければ意味は無いと思います。


ただ甘えにならない程度に助けてもらったり、楽はしていいとも思います。
この話はまた別の機会に



「ゆるさ=余裕」を生み出すために、ムダなものは効率化!
『ミニマリストの部屋づくり』は、教科書のような本です。

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